「できの悪い」子どもなど、ほんとうはいない。
子どもたちがもっている素晴らしい可能性に気づかせてあげたい。

子どもというのは、最初は勉強が苦手な子のほうがおもしろい。これは塾長の口ぐせである。
ただ、長年の指導で東海中学や南山中学女子部、半田高校など
地元のトップ校に続々と生徒を合格させてきた塾長のセリフとしては、ちょっと異質なのである。
ここには彼が大事に胸にしまってきた一つの思い出がかかわっている。

トップ教育センターの原点は、六畳一間の個人塾

昭和58年のこと、まだ三十代半ばであった彼はロサンゼルスでの遊学から故郷の知多半島に戻った。異国の地から戻って、どう生計を立ててゆこうか。

縁があって知人が営む流行りの個人塾の見学に東京へ出向いた。狭い部屋に生徒たちがぎゅうぎゅう詰めになって座り、講師が必死に勉強を教えていた。この姿を眼に焼きつけて半田に戻り、六畳一間に小さな裁縫机を二つ置いて私塾を開いた。これがトップ教育センターの原点である。

乏しい教育経験で苦労の連続だったスタート

のれんを出したばかりの町の個人塾に、優秀な生徒など来ない。手のかかる、勉強が苦手で「できの悪い」生徒ばかりだった。勉強はおろか、座っていることもままならない。叱りとばしながら何度も何度も教えた。

そして、生徒以上に自分自身も学ばねばならなかった。子どもに教えたことなどそれまで一度もない。教科書や参考書を本屋で買いこんできて、学生のとき以来、一から勉強しなおした。どうやったら分かりやすく教えられるか、工夫と試行錯誤の連続であった。

「教育」のおもしろさを知った瞬間

あるとき、卒業生と道端でばったり会った。勉強嫌いで聞かん坊だったその生徒は、高校生になったせいか幾分大人びていて、塾長の顔を久々に見るなり頭をさげた。
「いまの自分があるのは、みんな先生のおかげです。ありがとうございます。」うれしかった。心の底からこの仕事がおもしろいと初めて感じた。

決して出来のいい生徒ではない。苦労ばかりかけさせられた。しかし、自分が教えていなければ、志望した高校にはとうてい受からなかっただろう。よくがんばって自分の指導に食らいついてきて、合格をつかんだものよ。何より、人として立派になった。

言葉遣いも立ち居振る舞いも、中学生の頃とは見違えるようだった。勉強とは、単なる知識のやりとりではない。点数の高い低いだけではない。子どもたちの人生に触れ、人間性までも育てあげるのが教育という仕事なのだ。

過去の失敗と挫折があっての「トップ教育センター」

以来30数年、生徒たちの指導に明け暮れてきた。失敗と挫折を何度も味わい、悔しさに幾度となく唇を噛んだ。商売人としても決して器用ではない。それは分かっている。しかし、年を追うごとに校舎と生徒数は増えつづけ、いまや知多半島で15校舎。かつてアパートの六畳一間だった教場がここまで大きくなるだろうと、自身も含め誰が思っただろう。

いま塾長は思っている。「できの悪い」子どもなど、ほんとうはいないのだ。単に成長のさなか、途上にあるだけであり、いくらでも伸びるチャンスはある。しかし、その自らの可能性に気づかないことが残念でならない。子どもたちがもっている素晴らしい力に気づかせてあげたい。

毎年新校舎を開校。生徒も増え続けている。