2026.09.25
「ゴリラ」と『戒め』と
個人的に、国語の教科書を読むのが大好きです。
指導用の文献ですから、当然読みやすい文章も多いですし、様々なジャンルの文章を一冊で楽しむことができるからです。「短編集」のような位置づけでしょうか。
さて、その中でも、読み返すたびに「ハッ」とさせられる文章があります。
中3の教科書に掲載されている『作られた物語を超えて』という論説文です。
長く掲載されていますが、この単元を指導するたび、自分を戒める良い機会になっています。
(と、同時に論説文読解の方法を指導しやすい表題・文章構成になっており、有難い単元でもあります)
身近……とは言い難いですが、有名な動物『ゴリラ』の生態を具体例に挙げた文章です。
ゴリラは「ドラミング」で威嚇をしてくる、好戦的で凶暴な危ない生き物だと誤解されていました!
その結果、罪のないゴリラが大量に殺されたり、捉えられ動物園などで好奇の目にさらされたりしました!
でも、それらが間違いだったことがわかりました!人間がゴリラに可哀なことをしてしまいました!!
というような、具体例が前半に並んでいます。
そこだけしか読まないと、
……ふ~ん。。。カワイソ。。。
で終わってしまいます。
本当に重要なのは、その後から展開される、≪現代社会で起きている事実≫と【筆者の論】を理解すること。
≪ゴリラたちにもたらされた「悲劇」は、現代の人間社会でも同じことが起きている≫
≪人間たちは、相手のことをよく知らないにも関わらず、印象だけで『物語(=誤解に満ちた都合の良い解釈)』をつくりたがる≫
≪その『物語』は、人間が発明した『言葉』により脚色・誇張され、一人歩きをするように伝わり、『間違った常識』として社会に蔓延する≫
≪結果的に、誤解を修復できない他言語・他文化の民族間では、相手こそが「悪」とされ、争い(=悲劇)が始まり、世代を超えても続いていく≫
これらの事実を踏まえたうえで、
【相手の立場に立って、1つ1つの行動にどんな意味があるのかを考えることが必要だ】
【人から伝え聞いた「物語」と、実際に自分が向かい合っている現象とを照らし合わせ、これまでの常識を疑ってみる態度も必要だ】
【「物語」によってつくられた常識の陰に、しいたげられている存在がいないか、意味を取り違えて排除していることはないか、思いを巡らせることが大切だ】
【「物語」の真実を知るためには、相手の文化や社会をよく理解することが重要だ】
【自分勝手な独りよがりな解釈を避け、常識を疑うこと、何より自分を相手の立場に置き換えて考えてみる視点が重要だ】
【「作られた物語」を超えて、その向こうにある真実を知ろうとすることが、新しい世界と出会うための鍵だ】
という論が、展開されていきます。
私はこれを読み返すたびに、スリッパで頭をひっぱたかれたように「ハッ」とさせられます。
私は、
『「物語をつくる人間」になってはいないだろうか?』
『「常識を疑うこともせず、誇張して伝播させるような人間」になってはいないだろうか?』
『「真実を知ろうとする人間」になれているだろうか?』
……、と。
社会という輪に入った大人として、
未来ある生徒を指導する私塾の講師として、
夫として、親として、
そして何より「人」として、
『反対側の立場の事情・真実に目を向けよう、耳を傾けよう、理解しようとしているか?』
『知らぬ間に、自分の視覚や思考、言動・行動に「色眼鏡」をかけていないか?』
『相手のことを真に慮って動いたり、話したり、指導をしたりしているか?』
『その言動や行動は、本当に相手のためになっているか?』
『知らぬ間に、相手をしいたげていないか?』
……
人間社会における「私の生き方」を戒めてくれる良い機会になっています。
この記事を書いた人
井元厚志先生
知多市出身。15年を超えるベテラン講師。専門は英語だが、文・理問わず指導可能。「ご家庭の最強・最良パートナーであれ!」がモットー。大学時代にイギリス留学と現地の小学校で職員をしていた経験あり。伊豆半島をこよなく愛しており、いつか移住する野望を持っている。
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