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diary

割り箸袋の中の爪楊枝

2年前の昼休み。

コンビニ弁当を食べようと、笑いながら割り箸の袋を開けようとした瞬間ーー
痛っ…!!
袋の中に潜んでいた「爪楊枝」が私の指先を突き刺した。
地味なアクシデント。けれども黙るほどに痛い。

何より想定していない場所から飛び出してくるその恐怖が、何よりも後を引いた。

数年前までコンビニで頂く割り箸には、必ずと言っていいほど「爪楊枝」は入っていたんです。
それは暗黙の当然でした。

・床に落ちてコロコロ
・ゴミ袋を破って飛び出す凶暴性
・開封中の傷害事件勃発
・カップラーメンにダイブ

小さくて尖ってて、なのに気に留めないその存在感。
「爪楊枝」は「静かに刺さる親切」となっていたのです。

我が家には3歳になる愛犬がいます。
何でも嚙むし、口に入れます。
万が一、誤飲してしまったら、それは誰が責任を取ることになるのでしょうか?
それこそ、「親切という皮を被ったリスク」がセットとして手元に届いていたのかもしれません。

数年前までそんな「爪楊枝」が当たり前の親切リスクを作り出していたのです。
理由はざっくりと
・昔の和食文化
・製造過程上、「ついで」に入れるほうが楽だった
・気が利いているアピール
との事らしいですが、持続可能な社会が求められる今日において、それはそれは本当に
「親切心が作り出した無駄なリスク」の象徴だったのかもしれません。

「誰のためあるのか?」「何のために必要なのか?」が曖昧になった時、
物事は価値を見出さなくなるどころか、リスクを作り出すものとなりえるのです。

これは日常生活や日々の学習にだって当てはまるように思います。
かといって何もしないのはちょっと違うと思いますが、
これまでの「当たり前」を考え直してみると、案外もっと良い方法があったり、
実は不必要な事だったりするかもしれませんね。

全ての事象は「それを行う意味」が曖昧になった時、「割り箸の中の爪楊枝」になってしまうのかもしれません。

川崎健太先生

この記事を書いた人

川崎健太先生

兵庫県出身。情に厚く、生徒に真正面からぶちあたって、ともに泣きともに笑いあう兄貴分気質。わかりやすくおもしろい関西弁の集団授業で生徒たちから好評を得ている。
大学時代はアメフト部に所属し、留学の経験もあり、実はサックスの演奏ができるなど、文武両道、多彩な一面もある。
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