2025.06.18
ベアフット
昨年の今頃、富士山の近くにある街を観光で訪れた際、小さな川を見つけて足だけでも水の中に入りたくなりました。
お土産屋さんで買い物している両親と兄の目を盗み、急いで靴下を脱ぎ、ズボンを膝までまくり上げ、お店の横を流れる浅い川の中を一人で歩いていると、買い物を終えた母に見つかって、こう言われました。
「いい歳して…ほんと、いつまでたっても子供だね…」
川に入ることが子供のみに許された特権だというのであれば、私は永遠に子供でいたい。
そう思うほど、裸足で大地や海、何かしらの自然に触れることを大切にしています。
皆さんも波打ち際に立った際、泳がなくとも足だけでも水の中に入りたくなった経験はありませんか。
足湯だってそうです、温泉に浸かるのとはまた違った魅力があるかと思いませんか。
田植えのときに足先で感じる、泥の感触にもきっと大事な意味がある。
私は先人たちが駆け抜けた広大な平野の一つ一つを自分の足裏で感じたいと思うことすらあります。
思い返してみると、おそらく子供の頃から裸足でいることや素手で暮らすことが好きなのだと思います。
大人になった今でも靴下や手袋はすぐに外して失くしてしまうことが多いです。
真冬であっても帰宅してからは靴下もスリッパも脱いでしまいます。
ひどく冷え性なのに、それでも手足だけは何にも覆われていないことを良しとしています。
小学生の頃は裸足こそが一番、速く走れると信じている子供の一人でしたね。
芝生や大地を裸足で歩くことはカルフォルニア発祥のアーシングという健康療法の一環として注目されてもいます。
何やら静電気なんかが足裏から効率的に放出されるので、電子機器に囲まれた現代人の不調を取り除ける(?)とかみたいです。
そういう効果があるのかどうかは私はさっぱり分かりません。
でも、少なくとも自分の頭で考え、たどり着いた一つの結論があります
それは40億年前に生命が誕生して以来、私になるまでの全ての細胞が大地を離れることはなかったのだと。
だから私だけが、いまさら大地から離れるわけにはいかないのです。

この記事を書いた人
渡辺政仁先生
生徒からの100%の信頼を得られるように、120%の力で志望校合格のための指導に励む。「天才とは、心の中にあるものを実行する能力である」という言葉を胸に、生徒の夢を叶えるための学習を実行させる。通算1,000作品以上はゆうに鑑賞しているほどの映画好き。一番のおすすめは『buffalo'66』
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